こんにちは♪美容院リベルタの佐々木です。リベルタもずっと賛同しているヘアドネーション。この活動はどんどん広がり、子供から大人まで多くの方々が参加するようになってきました。
【無償で医療ウィッグを提供する】という行為は、とてもいいことであり誰もが称賛することです。しかし、その活動に参加するにあたり医療ウィッグを待っている子供たちの背景をどこまで考えていますか?
今回はちょっと辛口な内容です。
ヘアドネーションに参加することの意味
普段髪の毛はカットした後にゴミとなります。切り落とされた髪の毛は燃えるゴミとして廃棄され、ただただ処分だれるだけ。そんなゴミとされる髪の毛が誰かの役に立つならと始まったのがヘアドネーションです。
ヘアドネーションに参加する理由は様々だと思います。
【親族に病気やガン患者がいて立ち会った経験がある】
【ネットやテレビで見て気になった】
【どうせカットするなら困っている人へ役立てたい】
こんな想いを乗せて、頑張って髪の毛を伸ばしている人がほとんどです。
ここ最近ではメディアの影響もあり、ヘアドネーションを取り上げられることも増えました。それを見た方々のドネーション参加によってさらに輪が広がっています。ドネーション団体もどんどん増えていき『良いことをしている』というイメージが先行しているのが現状です。
ただ、人の役に立つボランティア精神はとても素晴らしく誰から見ても褒められることだと思いますが、自己満足になっていませんか?
ボランティアに参加しただけで終わるものでもない
『ヘアドネーションのために頑張って髪を伸ばしている』と、会ったこともない知らない誰かのために自分の髪の毛を伸ばしている行為はとても美しく感謝もされます。しかし、《ウィッグが届けば髪の毛がない子供たちが大喜びしてくれるに違いないと思い込んでいる人もいる》とドネーション団体の代表は言います。
それは一体どうゆうことなのか?
・ウィッグがあれば堂々と生活ができる。
・周りと同じように生活することができる。
・学校や社会で肩身の狭い思いをしなくて済む。
・髪の毛がないことによってのいじめを避けることができる。
これらの価値観が間違っていると言うのです。
髪の毛があることが当たり前ではない
普段私たちは髪の毛があって当たり前。髪質やクセ毛に悩んだりはしていても、脱毛症や抗がん剤などの影響による髪の毛がない事への悩みがあるのは少数派。髪の毛を寄付したことによる善意は、果たして髪の毛がない子供たちに【押し付け】になっていないでしょうか?
私自身、このドネーションの代表が言う内容について『良い事をしているのに否定的な人だな』と感じました。しかし、その背景にはもっと根深い社会の価値観があるんだなと衝撃を受けたのです。
『どうして誰も髪の毛がなくったっていいじゃないか!と言わないのか?』
髪の毛がない子供たちにはウィッグを心待ちにしているのも事実ですが、ウィッグがないと生活しずらい世の中にも苦悩を抱えているんだそうです。本当の自分。髪の毛がない自分。外見による偏見。そんな見た目で判断される生きづらさ。
やはりウィッグと言っても自分の髪の毛ではないため頭皮に違和感を感じたり、ムレや暑さを感じやすく、決して快適ではないはず。そんな中、ファッションとしてではなくて社会に溶け込むためだけにウィッグを被ることは時に自分自身を否定されているかのような感情に襲われるようです。
リベルタが賛同しているジャーダックの代表は【ヘアドネーションの活動が1日でも早く無くなることが目標】と言っています。それは、髪の毛のない人たちがウィッグがなくても平気で街中を歩けるようになる偏見のない世界を望むという意味だそうです。
ウィッグを被れば生活しやすいでしょ?
ドネーションに参加していいことをした。この言葉が果たして善意になるのか?押し付けになるのか?とても難しい問題です。しかし、ウィッグを必要としている人はまだまだ多く、年間の申し込み人数は約300件。そこからウィッグを制作して提供できている数は150個。希望者の数の半分しかウィッグが制作できておらず、髪の毛が足りないのも事実です。ウィッグを待機している子供たちは、髪の毛がない事で肩身の狭い思いをしているかもしれません。世の中が『髪の毛がなくったっていいじゃん。ハゲてたっていいんじゃない?』という風潮になればウィッグを待っている間でも自分らしく生活できるのかもしれませんね。
善意と偏見の紙一重の問題はまだまだ続くと思います。リベルタもウィッグを必要としている子供たちがいる限りこの活動に参加していきます。しかし、ウィッグがなくても生活しやすい世の中になった時はリベルタもヘアドネーション賛同を辞め、脱毛症のお客様を受け入れる美容室へと成長していきたいと思います。あなたも一緒にドネーションの未来を考えませんか?